収穫後に1つだけ木に残しておく柿の実を「木守り柿」(冬の季語)というそうですが、この大量の残し柿は、越冬する小鳥たちのためでしょうか。
今年は激動の1年でしたね。万感の思いで除夜の鐘を聞くことになるでしょう。新年はよい年になりますように・・・。
収穫後に1つだけ木に残しておく柿の実を「木守り柿」(冬の季語)というそうですが、この大量の残し柿は、越冬する小鳥たちのためでしょうか。
今年は激動の1年でしたね。万感の思いで除夜の鐘を聞くことになるでしょう。新年はよい年になりますように・・・。
こんな光景を見ていると、シーンとした静寂に包まれ、まだ深秋のように感じられます。反対に街はきらびやかな飾りやイルミネーションで、賑やかです。「師走」文字通り走り回るような何かと忙しい時期に入りました。だからこそ、ホッと心休まる時間も作ってくださいね。
紅葉がしきりに散る光景は一種の壮絶さえ感じます。数日後、お寺の庭は一面の紅葉筵(むしろ)になっていました。今なら紅葉絨毯と呼ぶところでしょうか。そこをサクサクと音を立てながら歩くと、子どものようにワクワクします。足元から伝わる音・触感・匂い・色・・・感覚が研ぎ澄まされる気がするのは、この時期だからかもしれません。
コンバインの登場で稲束の乾燥風景も珍しいものになってきました。昔ながらの半月ほど天日干ししたお米は、割れなくて旨みもたくさん増すのだそうです。稲わらは納豆作りやカツオのたたき(藁焼き)から、家畜の飼料や敷き藁として、また畑に敷いて乾燥防止や保温・有機肥料に、畳、しめ縄、門松、箒など、日本文化には欠かせないものです。この干しわら達は、これから何になるのでしょうね。
紅葉狩りは山野に出かけて紅葉を鑑賞することですが、「狩り」が草花などを愛でる意味でも使われるのは平安時代の貴族に関係すると言われます。当時の貴族は歩くことを下品と考えて、牛車で外出することが多かったようです。ですが山道を牛車で上って花や紅葉を愛でることは難しい。なので狩猟であれば歩いて出かけるのもおかしくないと、狩りに見立てて出かけたそうです。人はなぜ紅葉に惹かれるのでしょうね。